] 帰国

1 ウィリストン空港

ウィリストン空港  空港までのシャトル車を6時に頼んでいたため、5時半に起き、6時にチェックアウト、料金は85ドル。
 昨夜は雨が降ったので、レンタカーも洗濯出来たかもしれない。
 シャトルの運転手さんは前と同じ人で、要望のある時だけ出てくるのだそう。6時5分にウィリストンの空港に着いて荷物を預け、 軽い朝飯を摂っていたら、6時半にはもうプレチェックインが始まって保安検査場に入る。年老いた審査官は、パスポートを見ながら 日本は小さな国なのにすごく発展して大好きだと言ってくれた。

 気分良く待合室で待ってたらオーバーブッキングでボランティアを募集しだした。 良くはわからなかったが、ボランィテアにはハワイでも日本でも好きな場所の航空券を出すとか言っていた。 1日遅れても日本までただで帰れるなら、応募しようかなと思ったが、英語で細かいやり取りが必要になりそうで止めた。
 最近既に搭乗していた客まで引きずり降ろして、批判を浴びたUAだけに今日の対応は穏やかであったが、何とかボランティアが見つかったようでこちらは無事に乗れそうな雰囲気になった。
 そうこうしているうちに搭乗開始時間になり、来た時と同じEmbraer ERJ145に搭乗し、8時20分にウィリストンを出発した。

 

 

2 デンバー空港

デンバー空港  デンバー空港には、8時45分に着いたが、時差が1時あるので1時間20分くらいのフライトだった。到着は相変わらず、Bコンコースの端の地上で、もう慣れてしまったが、 結構歩かせられる。成田行きのUA139便までは3時間余もあるし、荷物はスルーで、出国の手続きも何も要らないので、今回は空港内をゆっくり見学できた。 2階のレストランに行くと雄大なロッキー山脈も見える。

 ところが軽い昼食を摂っていると、空港アナウンスで日本語で名前を呼ばれ、出発ゲートのB32に来てくれとのこと、 こんな異国の地で何事が起こったのかとゲートまで急ぐ。
 何のことはなく、親子の3人連れが、3列並んで席を取りたいので替わってやってくれないかとゲート係員が言う。新しい席も通路側の34Fとのこと、 ダレス空港で変更予約していた34Jが34Fに替わっただけなので、直ぐ了解したら、appriciateと言っていたが、もちろん無料航空券はくれなかった。

 搭乗が始まり、全員搭乗して12時半にドアも閉まったのだが、中々動かない。アナウンスがあって、情報、非常用の設備の点検中だとのこと、 挙げ句の果てに外に出たいお客様はゲートの近くの外で待機してもかまわないとアナウンスがある。
 日本で良く見ているケーブルテレビの航空機事故の真実と真相(ナショジオの番組、平日午後1時から)で、些細な不具合が色々重なって大きな事故になる例が多く、 嫌な感じだった。結局午後1時45分にやっと出発したが、本当に直ったのか見切り発車なのか疑い出せばキリがない。

 


 

3 成田空港

成田空港到着

 心配をよそに、何ごともなく日本時間午後3時40分に成田空港に到着、やれやれ。
入国も税関もスムーズにすんで到着ロビーに出たら、これも毎週月曜日夕方に見ているユーは何しに日本へのディレクターと通訳さんが到着した外国人を捜していた。 もちろん我々日本人はお呼びではない。
 4時38分発のスカイライナーに乗れて、家に着いたのは6時頃で夕食に間に合った。

 今回の基本的経費は、航空券25万円(保険料込み)、宿泊料が18万円、レンタカー代7万4千円、ガソリン代が4、400円(+FPO)、程度。

 20年前に30年勤めた職場を退職して、比較的時間が自由になったので、米国の国立公園を廻りだした。 米国には自然景観を主とする国立公園は、57箇所ほど有り、この20年で年に1,2回づつの訪問であったが、今回で37カ所ほど行くことが出来た。雄大な自然に感銘をうけた旅が多かったし、 米国の田舎の人たちは気の良い方が多く、人種差別など嫌な思いをしたことは1度も無かった。

 57箇所全部を廻りたかったのだが、残った公園は米国東海岸やアラスカなど日本から行くのは不便な所ばかりで、その上年齢を重ね、体力的にも資金的にも難しくなったので、 今回の旅が米国の国立公園廻りの最後になりそうである。

 (四国八十八ヵ所巡りも未だ七十六ヶ所で留まっているが。)


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