昨夜は持病の腎臓結石が尿道に出て、背腹が猛烈に痛くなってしまった。こんな山の中ではお医者さんもいないし、 症状は判っていたので、水をいっぱい飲んで縄跳びをして自分で結石を出してしまったら痛みも嘘のように治まってしまい、朝は普通に起きられた。
今日はかなり走らねばならないので、部屋でバナナとコーヒーの朝食を摂って8時に出発。実際にはどこまで行けるかわからないので、 今日は宿の予約は日本からでもしていない。
園内の公園道路を西へ進み、北西のマベリック入り口からビッグベンド国立公園を出た。少し先に スタディビュートと言う小さな集落があり、モーテルも数軒あった。チソスマウンテンロッジに泊まれないときは ここを基地にしなくてはならないだろう。
スタディビュートを左折して170号線に入って8マイルほど行くと、 右側にターリンガのゴーストタウンがあった。 かっては水銀の鉱山があり、数千人が住んでいたそうである。今でも何人かは住んでいるような雰囲気だった。 大きなお土産屋などがあり、 ゴーストタウンにお似合いのおばあさんが1人で店番をしている。 テキサス州フォートデイビス産のワインがあったので買ってみた。(ブドウはカベルネソービニオンで、 帰国して飲んだら割りと素直で美味しい味だった。もっとも25ドルもしたのではあるが。)
170号線を更に西に進むとビッグベンド牧場州立公園*に入り、リオグランデの流れに沿って行くことになる。
登り降りの激しい道だったが、それだけに景色は変化があってきれいだった。道沿いに先住民のテピを模した休憩所もあった。
このような道が55マイルほど続いた。
このリオグランデの流れに沿った170号線はメキシコとの国境を走っているため、この道をドライブ中には、1台の車が我々の車をずっとつけてきていた。3,40分後には
Uターンして戻っていったが、車のナンバーを照会して日本人が借りたレンタカーであることが判って引き返して行ったのであろう。メキシコからの不法移民の監視も厳しいものとなっているようだ。
国境の町、プレシデオには11時頃に着いた。ガスステーションで給油をしたが、店の女性も主にスペイン語で話している。
ここから道は67号になり、一路北へ、途中には、国境警備の検問所があり、またパスポートを見せて通してもらう。
それでも一応どこから来たのかくらいは聞かれた。
60マイル走って、90号と交点の町マーファで12時過ぎになったので、サブウェイで又イタリアンサンドを食べる。 ハラペーニョが辛くて口が曲がるほどだったがそれがまた美味しい。コーラで口直し。
マーファから90号には入り北西に進む。空に白く輝く点が見えてUFOかと思ったが、 近づいてみると白い飛行船が浮いていた。上空から車の速度違反を監視していたのかも知れない。
78マイル走ってI-10号との交差点のバンホーンに着き、ガソリンスタンドで休息。 バンホーンの東側には、アパッチ山脈があり、これは例の周囲400マイルのキャピタン珊瑚礁の西の端に当たり、 やはり数百万年前に隆起した山脈である。 思えば今回の旅は、このキャピタン珊瑚礁をぐるりと一周した感じであり、 また、アパッチなど先住民インディアンと米人開拓者や軍隊との衝突の地を訪ねた旅であった。
バンホーンからI-10号へ乗ったのは、2時頃になっていた。エルパソまでは、118マイル、
制限速度が75マイルで快適に飛ばせる。ここでも途中に国境警備の検問所があったが、
怪しい車だけを止めていたのかフリーパスで通過できた。
エルパソの街も多少混んでいたが、割と順調に通過。エルパソから45マイルのラクルーセスに着いたのは、5時になっていた。
5時と言っても、マウンテンタイムの5時で、セントラルタイムでは、6時ということで、
朝8時から午後6時まで10時間も車を走らせていたことになる。
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