朝7時半に出発、ファーニスランチから南へ行く道は、8月15日の異常降雨により崩壊していて通れない。
ということで、悪魔のゴルフコース、ダンテスピークなど有名な見所には全て行くことが出来ないため、
先住民ショーショーニの集落をちょっと見てカリフォルニアへ向かうことにした。
ストーブパイプウエルの売店に寄り、食べ物などを補給、エミグラントからメインの190号を外れてエミグラント渓谷へ入り、
ワイルドローズ方面のコースを取った。この道は1849年に開拓者が西への道を捜して苦労して通った道の1部である。
ところが、山の下り道に入るとブレーキの踏み込みが甘くなり、効きが悪くなった。
変だなと思いつつ、計器を見るとサイドブレーキの赤ランプが点いている。
ストーブパイプウエルを出た時に、サイドブレーキを戻しきれていなかったらしい。
このため サイドブレーキが過熱して本来のブレーキに熱が伝わりベーパーロックを起こしたようだ。
こんな人の来ない山の中で車が故障したら命に関わるので、停車してブレーキをさましてから進むことにした。
ワイルドローズのレンジャー事務所を左折、舗装が切れて砂利道のほぼ終点に、珍しいことに炭窯が何基もある場所があった。
これは、1870年代に木炭会社が作り、このあたりのピニオンパインやネズを原料にして木炭を生産し、
25マイル離れた2カ所の銀鉱山に運んでいたそうである。
ここで Uターンし、一旦トロナ方面へ向かい、パナミント谷との交差点を北上して再びメインの190号に戻る。
映画撮影の記念碑などもあるが、横目で見ながら車を進めると高度はぐんぐん上がり、ポータル道路の終点は標高約2000mになった。ここからは、米国本土の最高点の山、マウントホィットニーが間近に見え、その迫力はすごい。
ローンパインの信号に戻り、395号に入る。こことインデペンデンスとの中間の395号線左側に
第2次大戦中、日系米国人が収容されたマンザナール日系人収容所*の跡地があり、National Histric siteになっている。
資料センターもあり、また、車で跡地を1周できるコースもあって、1廻りしてみたが、
慰霊碑以外は、殆ど何も残っていない区画だけの遺跡がかえって当時の大変さを思い起こさせる。
マンザナールを後に、今日の宿泊地ビッグパインに向かう。
35マイルほどなので、約30分、3時には着いてしまったが、ガソリンを入れるのを忘れていて、
ビッグパインに着いた頃は燃料計は殆どゼロで危ないところであった。
ガソリンスタンドで満タンにしたところ、約12ガロン25ドルであった。
ビッグパインの人口は1350人程しかないが、モーテルなどは、5,6軒あるようだ。
インターネットで予約しておいたその名もブリッスルコーンモーテル*にチェックイン。宿泊料は42ドル。
夕食は、モーテルの直ぐ向かいに Rossi's というレストランがあったのでそこに行った。
イタリアの移民が始めたレストランで当然イタリア料理である。スカンピがメニューにあったのでこれを注文したが、
出てきたのは普通のシュリンプでがっくり、しかしまあソースはイタリア風でおいしかった。
スパゲッティは茹で過ぎで腰がなく美味しくない。アメリカで美味しいものを食べようとするのが
土台難しいのであろうか。
デスバレー、ビッグパイン、ヨセミテ付近地図 |
第4日へ戻る |
第6日へ進む |
RETURN TO HOMEPAGE |