宿には簡単な朝食が摂れるコーナーがあったので、トーストとジュースで朝食。今日は移動距離があるので、
宿を午前8時に出発し、再びI-10号に乗って、約40マイルのウィルコックスで降りた。
ここでガソリンを給油、4ガロンで10ドル弱とガロン2.4ドルもする。
ウィルコックスの市街を抜け、186号を一路チリカウア公園*へ。
殆ど車の交通がない道を行き、9時半過ぎには、公園入口に着いた。
ここから公園の東側まで8マイルのボニータキャニオン道路が園内を貫いており、ドライブしながら
2千7百万年前に爆発した火山から出来た岩々が見られる。
道路終点のマッサイポイントに駐車、標高2000mもあるので、日差しは暖かいのだが、風が冷たい。
それでも1周20分ほどの自然歩道を歩くと、岩の尖塔が数え切れないほど見られ、
今にも落ちそうなバランスロックも見つかる。
周囲の山々も荒々しく、火山爆発がいかに大きなものだったかをうかがわせる。
また、ここはソノラ砂漠からロッキー山脈までの4つの植生が集まっているところで、
ダグラスファー、ネズ、カシやユッカなど1200種の植物やハベリンなどの野生動物や多くの
野鳥などが見られる。
まさに周りの乾燥砂漠から浮き出たスカイアイランドである。
186号線を途中まで戻り、未舗装道路へ右折、その名もアパッチ峠を越えるとボウイ砦*につく。
ここには、当時の日干しレンガの壁が少し残っているだけでもう何もないが、
西部開拓時代は、アパッチインディアンと騎兵隊の戦場であった。
幌馬車隊の大量虐殺などの悲劇的な事件など30年も戦いは続き、1886年にアパッチの指導者ジェロニモの降伏で
米国におけるインディアンとの抗争が終わった場所である。
ジェロニモは、降伏後フロリダの収容所に送られ、2年間の収容期間の約束を米国政府は破り、オクラホマのシル砦でジェロニモが死ぬまで、22年間も収容所に留め置かれた。
歴史地区としては400ヘクタールが保存されているが、
誰もいないこの広大な荒れ地で繰りひろげられた戦いを思い感無量であった。
ボウイ砦を過ぎてしばらく下るとまた舗装道路になり、大きな果樹園を抜けてボウイの街に着いた。 ここから又I-10に乗ることになるが、時間も12時を過ぎたので、ガスステーションにあるサブウェイで昼食。 イタリアパンに野菜と猛烈に辛いハラペーニョを挟んだサンドイッチが美味しかったが、その辛いこと、辛いこと。
I-10号に乗ったのは、丁度1時で、直ぐに州境になり、ニューメキシコ州に入った。
ステインというゴーストタウンが地図にあったので、10号を降りてみたが、そこへ行く道が見つからない。
諦めてガソリンを入れ、再び10号線を東進。
I-10号沿いには、鉄道がずっと平行して走っており、この鉄道は貨物輸送の大動脈らしく、
長い長い貨物列車が頻繁に行き来していた。
車の方はローズバーグ、デミング、ラクルーセスとそれぞれ大きな街でI-10号を降りて休憩したり、
給油をしたりしながら、エルパソには、5時前に着いた。
ここは、もうテキサス州に入っているが、エルパソ周辺だけは、ツーソンと同じマウンテンゾーンの時間であり、
同じテキサス州でもここからちょっと東に行くとセントラルゾーンになり、時計を1時間進めなければいけない。
インターネットで予約してあったホリデイインにチェックイン、エルパソはメキシコとの国境にあるので
早速国境のスタントン橋まで行ってみた。
ここは、主として車でメキシコへ入る橋のようだが、
米国で買い物を済ませたメキシコ人が沢山徒歩で帰っている。
この付近の店は、殆どスペイン語の看板が出ていて、聞こえる会話もスペイン語のみ。
橋の入り口のスーパーに入ってみたが、米国の近代的な店とは違い、 雑然とした街の市場みたいで活気があって面白い。 記念に写真を1枚撮ったら、店員が何か言っているが、スペイン語でさっぱり判らない。 店内は撮影禁止になっているとでも言っていたのかも知れない。
本日の走行距離は338マイル。
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